今通っている一新塾の講義で、1/22(水)に島根県海士町の町長、山内道雄さんのお話を聞かせていただきました。あまり予備知識なくいったのですが、島でやってこられたことについて概要をお聞きすることができ、地方自治体特に離島の状況がどれだけ深刻で、それをどうやって解決してきた(今も進行形)か、概要が理解できとても有意義な時間を過ごすことができました。
その後、興味があったので、著書の「離島初 生き残るための10の戦略」という本で復習をさせていただきました。
町長さんのお名前は、山内道雄さん。先日、1/28の日経新聞にも掲載されていましたが「第3回にっけい子育て大賞(2008)」で自治体部門として島根県海士町が受賞されており、着実に生き残るための戦略が認められている最中のようです。
そもそもこの山内町長さんは、島出身ではあったが昔から代々住んでいる家系ではなく、また就職のために本土(島からみた日本の呼び方)でNTTに就職し、NTTが民営化した時を経験している方だそうです。両親の介護のため、島に戻ってきたのですが、代々島に住んでいないということから島では「そのもの」扱いをずっと受けていたそうです。
そんな中、島の今後を真剣に考える有力者の方に「町長に出馬してくれ」という言葉がきっかけで、本人は「よそもの」だから無理だと思っていたらしいのですが、有力者の方の熱意にうたれてその申し出を引き受け、出馬し当選されたということでした。
その背景にあったのが「超過疎化・超少子高齢化・超財政悪化」からくる「島が消える!」という危機感でした。H15年の市町村大合併の中、島の場合合併してもメリットがないということから、「自立する覚悟」を選択。その後、地方交付税の大幅削減で、島の存続が危うい事態に直面し、H18年に「赤字団体」へH20年には確実に「財政再建団体」になることを予想。本当に後がない状況で、町長は生き残るための戦略を打ち立て、H16年から「海士町自立促進プラン」で「1.守りの行政改革」、「2.攻めの新規産業創出推進」を軸に10の戦略を実践していくのでした。
お話も本もほぼストーリーは一緒で、「プロジェクトX」を彷彿させるような内容でした。
「1.守りの行政改革」ではコスト意識があまりない、町職員の人件費カットから慣行。全国でも最低の賃金水準(ラスパイレス指数72.4)ご自分でもおっしゃっていたけど、経営者として一番ダメなやり方だったけど、自分たちの身を削らないと本気度が伝わらないし、職員たちにもぬるま湯から抜けでてもらい、民間のように自分で考えて行動して勝ち取ってほしいという気持ちがあったとのことでした。
このカットした人件費は子育て支援の財源にあて、さっき書いた「日経子育て支援大賞」を受賞するまでの成果に至るわけでした。
これが守りの徹底した行政改革とすると、今度は「2.攻めの新規産業創出推進」です。海士町には、離島ということで様々な「ハンディキャップ」がありました。これを「アドバンテージ」へ変える施策を次々に実行するわけです。ハンディキャップは、やはり「流通問題」。海産物が豊富にとれるが、島の流通問題で新鮮なまま運ぶことができないが為に、安く買われていたものをどうにかならないかということでいくつか施策を考えるわけで。
地方っていいものがいっぱい眠っているのに、今までの慣習から「できない」「しょうがない」ということで考えることをあきらめて、それで自立できなくって、国にたよって、全く産業として「自立」できないのが問題でしょ。これじゃあ、自分で価格も決めることができないし、利益をだすことができないし、そのために地域が安定して裕福になることができない。
この概念を打ち破るべく、海士町町長は奮闘するわけで、まずは島をブランド化すべく、「さざえカレー」や「いわがき(春香)」「隠岐牛」など、すべて東京の消費者をターゲットに商品化をし、実績をあげていく。今までは地理の問題で島根か大阪という近場にもっていたものを、一番高く売れる、またブランドとして認識してもらえる「東京」で勝負できるものを作りあげたそうです。これがちゃんと実績をだしているんですよね。
あとは地方自治体では初めて「CAS(Cells Alive System)」という新鮮な海産物も細胞組織を壊すことなく凍結させることができるシステムを導入。4億円の投資をし、とにかく首都圏への販路拡大をしているそうです。その上、中国などの海外市場への輸出も始まっており、海外への拡大も狙えるとのこと。
この新しい産業は、外から来た人がきっかけでどんどん実現化していったようです。「島の人×よそもの」の交流で島の人も変わっていき、外から来た人も定住しやすく整備され、H20年につぶれるかもといわれていた自治体が、とても生き生きしているのが伝わってきます。
最後に町長もいっていましたが、「まだ発展段階、最終的な結果はまだ分からないが、これからもよいサイクルをまわしていき、最後尾から最先端へ、離島から日本を変えようじゃないかという気概でがんばっていきます。」と。
「島」という特有の環境もあると思うのですが、地方出身の自分にとってもいろいろと考えさせられることが多かったです。