コンテンツへスキップ

「いのちの食べかた」について考える。


先日、フードアナリスト協会のセミナーに参加。「文章表現」についての講座でしたが、その中で紹介していただいた映画がかなり考えさせられる内容だったので、ここで紹介

いのちの食べかた(映画)
http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

私たちは今食べている食べ物がどこからきているのか、ちゃんとわかっていない。
ドイツ人監督でとにかく事実のみを映像で流すことによって、見る側に判断をゆだねている映画とのこと。

特にお肉のところが衝撃的らしい。
私たちは「家畜」→「???」→「お肉」になる過程で、生きているときからお肉になるまでの「間」については知っているようで何もしらない。どこで生まれて、どのようにと殺されて、どのように解体されるかなんて、積極的に知らされることはない。

この映画をみると、家畜がと殺されて、解体される流れが、ベルトコンベアにのせられて工業製品をつくるのと変わりなく行われているのがよく分かるとのこと。言葉で聞くより、やっぱりこれは自分の目で「見る」べきなんだなあと思った。

いのちの食べかたという本も出ているとことだったので、こっちは早速アマゾンから購入してみた。

いのちの食べかた (よりみちパン!セ)
いのちの食べかた (よりみちパン!セ)
森 達也


こちらの本では、「どっからお肉がくるか」からはじまり、日本でお肉を食べだした歴史やそれを解体する人がなぜそのような仕事をするようになったかを紹介。

日本の歴史的な背景では、お肉を解体する人たちは「差別」された人々が行う仕事で、「穢れや不浄」という概念がつきまとう。鎌倉〜戦国時代にかけて武器に革具を使う需要が高まった。そこでみんながいやがる死んだ馬や牛の処理を身分が低い人たちが行うようになった。だだ、このような行為は「穢れ」ているといわれ、身分の高い人がすむ場所からは隔離され、皮をはぐ仕事をする人だけ集められた。これが「部落」のはじまりらしい。

いまも続く「部落差別」は大昔からの仕事の差別で、とんでもない理由で始まったんだなと。この辺のことについてはあまり詳しくないけど、もっと正しく知っておくべきだなと思った。

それにしても「自分はだれかより上」、身分的に下の人をつくるというのは、本当に人間って弱い。
身分差別は今の時代も「パワハラ」とか「学歴」とかに残っているような気がする。

ちょっとそれたけど、とにかく食べるときは感謝の気持ちをわすれずにいただきましょう。

記事を見てコメントする | 友だちに紹介する